他者の存在で生かされている

スポンサーリンク
お知らせ

こんばんは

葬儀司会、講師で全国を駆け回る

「自分がどうあるか」つたえびと みっこです。

 

仏教の話の中で出てくる話。

いつも(´ー`*)ウンウン思いながら聴いている。

自分の大事部分は自分では見れない

 

ということ。

 

例えば、瞳。

 

自分の瞳らどう頑張ったって自分ではみることはできない。

鏡など、他の存在があってこそ、みえてくるもの。

 

他者の存在があってこそ、

自分だと認識できるのかもしれない。

 

背が高いのも低い人がいるから

太ってるのも痩せている人がいるから

 

 

だからいつも、

生かされている自分

生かされているいのち

 

であるんだときづく。

 

そう、勝手に生きてる訳じゃないんだなーと。

 

いままで、葬儀の話は、長いなと思ってたけど、実は大事なことたくさんたくさん教えていただいていた

(長いと思ってごめんなさい)笑

 

昔は、お寺が地域コミュニティの中心にあって、ただ集うだけではなく、ちゃんと仏法のことを教えてもらっていたのだ。

 

宗教とかそういうことでなく

そんなつながりが大事なのかもしれないと。

 

仕事納めの今日、考えてた。

 

やっぱり今日もまた

生かされているいのちに感謝

「生きてるだけでまるもうけ」

 

ciao〜

 

 

 

The following two tabs change content below.

二岡 美樹子

代表合同会社なないろじかん
合同会社なないろじかん 代表。 1974年11月7日京都生まれ。 葬儀司会23年。葬儀司会・スタッフ派遣のセレモニー事業と バス型キャンピングカーで動く店、ソラカフェなないろじかん、なないろ食堂、 ツクオキなないろさんでからだに優しいごはん、加工品を販売するカフェ事業を展開中。

最新記事 by 二岡 美樹子 (全て見る)